東アジアの亀趺   

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  ここでは、東アジアの亀趺をご紹介します。



  趺とは石碑の台のことで、亀形のものを亀趺、一般につくられた方形台を方趺と称しています。
  石碑の淵源をたどりますと、太鼓状の石に文字を刻したもの(戦国時代秦国の石鼓文)、方形の柱状の自然石に文字を刻したもの(始皇帝の泰山石刻など)などが知られています。石鼓文は、韻文により正統の正統たるゆえんを語るものと考えられ、泰山刻石も始皇帝の偉業を称揚する意図をもって建てられています。
  故人の偉業を語る文章を刻してどこに建てるか、ということになりますが、ゆかりのある地に建てれば顕彰碑となり、墓地に立てれば同じ顕彰でも墓碑ということになります。
  こうした故人の顕彰を目的として、墓地に石碑を建てることが、後漢時代に始まりました。その中に趺石を亀形にしたものがあります。
  魏の文帝が薄葬令を出し、以後地上の目印は姿を消し、石碑も造られなくなりました。しかし、こうなると、地下に石碑のかわりを造ることになります。そもそも墓室には、小型の墓誌が副葬されていましたが、その墓誌が巨大化します。その墓誌の中に亀をかたどったものがあります。
  南北朝時代に薄葬令が効力を失うと、再び地上に墳丘や石碑を建てることになります。そうした地上の目印は、生前の地位を反映させるように、皇帝を頂点とした体制を示すように、制度が整えられていきます。
  皇帝の下の官僚体制を具体的に示すものとして亀趺が存在する、ということになりました。亀趺は、隋唐の時代に五品以上にゆるすことが規定されます。五品以上というのは、いわゆる貴族身分を意味します。貴族身分の者に建碑(立碑)が許された、ということです。
  この中国と周囲の国家との外交関係は、冊封という行為を通して形が作られました。これは、中国皇帝が、周囲の国家の君主を擬制的に臣下と同様に扱うことを確認するものです。それゆえ、周囲の国家の君主には皇帝より下位に位置づけられる「王」や「侯」などを漢字号として与え、皇帝とこれら「王」などとの漢字文書のやりとりをすることになります。
  したがって、亀趺碑が官僚制度を具体的形にするという面をもつことは、その形を中国の周囲に拡大させる面をもつことにつながります。
  ところが、周囲の国家も、中国と同じで、自己中心的な体質をもっています。中国中心を前提として作られた形を変えて、その自己中心の意思を反映させようとします。
  亀趺碑も例外ではありません。どんなところが東アジア共通の性格で、またどんなところに各国の思惑が反映されているのか。それを日本、朝鮮半島、中国それぞれについて、簡単に確認することにしましょう。
  顕彰されるのは、人だけではありません。神格も顕彰の対象となります。山を顕彰するという場合もあります。神格の場合、人と違ってとても尊いので、品階は問題になりません。過去の偉人も神扱いになります。後代に尊崇を集めた孔子の顕彰など、追尊により品階を上げて顕彰する場合があります。その他、忠烈が評価される場合もあります。

  この種の研究は、専論がほとんどありません。石碑について、戦前の関野貞の研究があります。その中で、関野が亀趺碑の歴史的位置づけを行っており、われわれは、その見解をほぼ蹈襲して議論することができます。
  その研究は、中国の明・清代、朝鮮の李朝時代にはあまり及びませんでした。また、日本の石碑が江戸時代になって始まったことも関係して、日本の亀趺碑に関する研究は全国を視野にいれたものがありませんでした。私個人の限られた力によるものではありますが、日本全国を視野にいれたまとめをしてみたので、それをここに利用しようと思います。
  ここで「日本全国」とことわり書きしましたのは、亀趺を今に伝えている地元では、その亀趺碑がおかれた場所との関わりから緻密な検討がなされているからです。私が調査をする過程で、了解できたのは、そうした各地の亀趺碑の情報が、ほとんど孤立状態におかれていたことです。日本の他の地域の状況がわからないまま、旅行で知りえた中国の亀趺などとの対比をする、というのが一般的でした。とてももったいない話です。いまはインターネットが発達したこともありますから、相互交流をはかりつつ、理解を深められたらと考える次第です。

   参照資料:平勢郎『亀の碑と正統−−領域国家の正統主張と複数の東アジア冊封体制観−−』(白帝社、2004年)。この本で中国・朝鮮半島の亀趺碑の概要を説明し、日本の亀趺碑をご紹介しています。この著書は、平勢隆郎「日本近世の亀趺碑−−中国および朝鮮半島の歴代亀趺碑との比較を通して−−」「同続」(『東洋文化研究所紀要』 121・122、1993年)をもとに執筆しました。これら論文と著書に、先行研究をご紹介しました。不足するとは思いますが、まずはそれらをご参照ください。代表的なものを以下に挙げておきます。
          関野貞『支那碑碣形式ノ変遷』(座右宝刊行会、1935年)
          関野貞『支那の建築と芸術』(岩波書店、1938年)
          関野貞『朝鮮の建築と芸術』(岩波書店、1941年)
          朝鮮総督府編『朝鮮古蹟図譜』(4・6・10〜13、1916〜1933年。復刊名著出版、1973年)
          趙東元『韓国金石体系』(円光大学校出版局、1979〜1988年)
          ANN PALUDAN THE CHINESE SPIRIT ROAD: The classical tradition of stone tomb statuary, Yale University Press, New Haeven & London, 1991

   私が日本国内を実地に調査する過程では、都道府県・市町村の教育委員会や個人・法人など多くの方々に協力していただきました。また、韓国・中国においても、限られたものとはいえ、同じく当地の方々など少なからざる方々に助けていただきました。ここに逐一お名前を出して紹介することはいたしませんが、あらためて感謝申し上げる次第です。


     日本の亀趺

     朝鮮半島の亀趺

     中国の亀趺


                           (執筆:平勢郎)