山本照像館古写真と關野貞
わが東洋文化研究所には、いわゆる山本讃七郎由来の古写真が多数存在します。
山本讃七郎(1855〜1943年)は、北京在住の写真師(写真家)で、学者・文化人と広く交流をもっていたようです。讃七郎は清末に中国に渡り、北京で「山本照象館」(山本写真館)を経営していました。その下には、息子の山本明等何人かの写真家を抱えていました。これまで公開した山本写真館由来の古写真のうち、「山本明」の名が記された(「撮影及編集者・山本明」とされるものと、「大和園山本明」とされるものがあります)ものがあることがわかっています。また、これと比較すべき写真が、工学系研究科建築学専攻の關野貞整理古写真として存在することもわかりました。
現在、人間文化研究機構のプロジェクト「日本関連在外資料調査研究事業」に参加し、工学系研究科建築学専攻の協力をあおいで、東洋文化研究所と工学系研究科建築学専攻に所蔵される古写真の整理と、被写体の現況調査を進めています。
工学系研究科建築学専攻の整理古写真は、關野貞の大陸調査に関わります。同じく、わが東洋文化研究所の整理古写真も關野貞の大陸調査に関わっています。
そこで、以下に成果の一部として、いわゆる山本讃七郎由来の古写真を、工学系研究科建築学専攻のものと比較検討して、お示ししたいと思います。
1:これまで公表してきた山本讃七郎写真
2:山本古写真と關野貞 龍門石窟
3:山本古写真と關野貞 天龍山石窟
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