松江松平家墓所松平宗衍寿蔵碑
松平宗衍(むねのぶ)は、松江松平家第六代で、茶人として有名な松平不昧(治郷)の父です。生前に碑を建てました。これを寿蔵碑といいます。月照寺の松平家墓所の中に宗衍の墓があり、その墓前碑として建てられています。
撰文したのは、荻野鳩谷(中野三敏「天愚雪冤罪」『文学』岩波書店、1987年9月が役立ちます)、まじめな儒者がある時期からたががはずれ奇人になったとして有名な人です。よくよく調べてみますと、宗衍が隠居し、この寿蔵碑を撰文したころから、奇行が始まるようで、墓づくり(亀趺碑を建てる)がこの奇行に関わるようです。比較してみたいのは、会津松平家(→土津霊神神社・会津松平家墓地)の初代保科正之(土津霊神)の墓の造営にあたり、責任者が脱藩している事実です。儒式を象徴する亀趺碑を建てるのに神経をとがらせたように見えます。
松江の亀趺は、動いたことでも有名です。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の随筆『知られざる日本の面影』の中で紹介されています。亀は夜な夜な動きまわり、人々は不安におもっていたところ、勇気ある武士がきりかかり、それで動かなくなったという話があります。上記の会津松平家初代正之の亀趺も動いてこまったので、方向を変えたところ動かなくなったという話があります。
以上、墓づくりにまつわるやや異様な対応や、亀が動きまわる伝説の存在は、単なる偶然の類似ではなさそうです。