一年は一月から始まり十二月まであります。人類は長い間、一年の目安を月の満ち欠けで表してきました。一年は、太陽の高さで決まります。この高さによって季節が生まれます。最も高いのが夏至、最も低いのが冬至です。冬至から冬至までの一年と、月が十二回満ち欠けした合計は約11日ほどの差があったので、一月一日は、冬至から何日目になるかが、毎年違っていました。
  冬至がすぎてから、あるいは冬至ごろに一月一日を迎えることにする、と古代中国の人たちは決めていたようなのですが(参考)、国ごとに何日ぐらいたってから一月にするか、というやり方が違っていました。そのため、ある国ではすでに一月になっているのに、他の国ではまだ十二月だ、というようなことがしょっちゅうありました。
  同じ日が、ある国では新年の年始であり、別の国では旧年の年末だったということです。
  古い時代の記事は、何月何日まで記されることがほとんどありません。ですから、何年、という記事だけで判断することになります。そうすると、ここにあるように、問題の記事は、ある国では前842年に当たる年の年末だし、別の国では前841年に当たる年の年始だ、としか説明できない場合が出てきます。
  戦争は農作業にかかわりが薄い冬に行われることが普通でしたから、残された記事には、こうした関係がたびたび出てきます。気をつけないと、矛盾だと誤解してしまいます。
  現代でも新暦と旧暦があります。たとえば旧暦(太陰暦)で平成12年12月22日は、新暦(太陽暦。普通使っている暦)では平成13年1月16日にあたります。旧暦の記事か新暦の記事かわからなくなった後、記録をみた者が同じ事件について、平成12年(月日なし)というものと、平成13年(月日なし)というものの二つを発見すれば、矛盾だと誤解するにちがいありません。
  これと似たような状況が、国ごとの暦の違いによってもたらされていたわけです。