昭和6、7年ごろ

 別に「天龍山石窟」のところで述べますように、岩田が山本照像館を継いだのは、昭和5年であることがわかっています。また、山本明が頒布した『震旦旧跡図彙』の「自序」に当たる「震旦旧跡図彙の頒布について」によりますと、この文章が「昭和8年3月」付になっており、「此度帰朝するに当つては、之れ等原板一千余種を携へて帰りました」と記しています。日向氏の「昭和6〜7年ごろ」帰国という判断は、こうした頒布の時期を根拠にするものかと思われます。