水戸徳川家墓地

  初代頼房、二代光圀(水戸黄門)以下、代々の藩主の墓地。二つの山からなり、それぞれに藩主の墓が作られています。向かって右手につくられた墓の中で最も高いところにあるのが初代頼房のもの、左手につくられた中で最も高いところにあるのが二代光圀のものです。三代以後は、左右順序だってはいません。
  いずれも高い基壇を築き、その中に藩主と正妻の墳丘を造っています(初代は側室−−光圀の生母)。藩主の墳丘は馬の鞍の形で上からみると方形、正妻の墳丘は円錐形の上をとりさった形で上から見ると円形です。馬の鞍形は、古典との関係が様々に議論されます。私見を述べておけば、方は地、円は天であります。藩主を上、正妻を下とみれば、地(八卦のすべてが−の卦)天(八卦のすべてが+の卦)泰という最も望ましい卦が得られます。地は地に向かい、天は天に向かい、上下しっかりと合わさって泰然自若となります。この逆は天地否で、最も忌まれる卦です。上は上しか見ず、下は下しか見ず、上下の構造は分裂崩壊の憂き目にあうということになります。
  いずれも墳丘の前に、亀趺碑を造っています。この石碑は、墓標(墓表)です。墳丘の前に建てるのが墓標、参道(神道)をおりたところに建てるのが神道碑です。こうした墓表などの用語は、全国的制度が定まったというわけではないようで、藩ごとに用法が違ったりしていますから、ご注意なさるといいと思います。
  墓は南面し、南側に亀趺碑を建てています。亀趺は西を向いています。碑面は正面が南なので、中国で造られた亀趺碑と違い、碑面が横を向いていることになります。