本多忠豊死節碑

  本多忠豊は、徳川家康の父松平広忠に対する忠烈が顕彰されました。
  愛知県安城市にその忠烈をたたえる「死節碑」が建てられています。1544年、安祥城は織田軍に占領された。松平広忠軍は、安祥城を奪回すべく攻撃したが、敗れて広忠は岡崎にのがれました。本多忠豊はとどまって奮戦し戦死しています。
  碑銘を撰文しのは、林衡であり(1794年)、建碑したのは、本多実為です。