永 楽 帝 陵 龍 趺 碑

  亀趺ならぬ龍趺(龍の台座)の碑です。清代に制圧の意をこめて建てられました。亀趺の亀は贔屓といい、龍の子供とされています(宋代以後の伝説)。ですから、龍趺は亀趺より上位に位置づけられるということになります。それを清朝が建てたというわけです。永楽帝は北京で即位した明朝皇帝第一代です。その前に南京で即位した皇帝がいます。清朝は明朝皇帝の代表として永楽帝を選び、贔屓の親である龍を台石に使ったのです。永楽帝の陵墓にはそもそも亀趺はありませんでした。北京第二代にも亀趺がなく、北京第三代宣徳帝から亀趺が始まります。日本でも第一代に亀趺碑があり、第二代以後は建てない(岡山池田家。キリシタン禁制のあおりで儒式を警戒)とか、第一代以後歴代建てているが第二代だけ建てない(会津松平家。この場合もキリシタン禁制のあおりで儒式を警戒)とかの事例が見られます。初代と二代・三代をめぐる話題として、とても興味深いことです。
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