
王 承 恩 墓 亀 趺 碑
王承恩は明朝最後の皇帝崇禎帝に殉じた人です。崇禎帝の墓の近くに彼の墓があり、そこに亀趺碑が建てられています。亀趺が使われたのは、忠烈が評価されたからです。朝鮮王朝や江戸時代の日本で忠烈を顕彰した亀趺碑があります。そのことを考える上で、とても興味深いものです。
ところが、崇禎帝には亀趺碑は建てられていません。建てるに値しないと評価されたからでしょう。その崇禎帝ですが、朝鮮王朝で特別に位置づけられることになりました。朝鮮王朝では、清朝の軍隊に制圧されている間は清朝の年号を石碑に刻んでいますが、清朝の軍隊が引き上げた後は、ずっと「崇禎帝が死去して何年」という年代(崇禎紀元)を使い続けています。明の正統継承を形にするものと考えられます。なお、崇禎紀元が始まる前、明朝がまだ存在していたころは、朝鮮王朝では、北京第一代皇帝永楽帝にほろぼされた皇帝一族を尊ぶ「形」を作っているようです。南京で即位した洪武帝時代の規定を使って亀趺碑を建てています。明の遺臣たちは日本に逃れ、徳川氏や各地の大名の庇護をうけ、亀趺碑を含む江戸時代の墓葬に影響を与えていますから、この亀趺碑は、日本の亀趺碑を考える上でも興味深い情報をもたらしてくれます。
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