關野貞  河南省登封調査より

  『関野貞日記』によりますと、關野貞は、大正7(1918)年6月17日から24日まで、登封を調査しています。その時の調査のものとおもわれるガラス乾板が工学系研究科建築学専攻に所蔵され、それから作成したとおもわれる焼付け写真が、整理アルバム『芸術参考写真帖』に整理されています。下記には、アルバムからおこした画像をご紹介し、ガラス乾板が確認できるものに○を付しておくことにします。
  また、同じガラス乾板から作成したとおもわれる焼付け写真が、東洋文化研究所に所蔵されています。これは、關野貞が東方文化学院の研究員として入所した後、その助手をつとめ、關野の死後に研究員となった竹島卓一が整理したものと思われます。


  工学系研究科       東文研         近況  
  建築学専攻の       焼付け写真
  關野貞整理写真     ◆写真あり
  ○工学系建築学         
  専攻乾板あり

  一部東文研写真
  を補う(参考)

          ◆        
   ○關野貞

          ◆        
   ○關野貞

         ◆         
   ○關野貞

          ◆
   ○關野貞

          ◆        
    關野貞

          ◆        
   ○關野貞

         ◆
    ○關野貞

         ◆
   ○關野貞

         ◆          
   ○關野貞

        ◆         
   ○關野貞

         ◆          一碑の亀趺頭部欠
   ○關野貞

         ◆          
   ○關野貞

        ◆          
   ○關野貞

         ◆          
   ○關野貞

         ◆           現存 
   ○關野貞

         ◆           現存
   ○關野貞

         ◆             
   ○關野貞

         ◆          
   ○關野貞

         ◆
   ○關野貞

        ◆
   ○關野貞

  
   ○關野貞

  
   ○關野貞

                     現存
   ○關野貞

         ◆           上記
   ○關野貞 

                     
   ○關野貞

         ◆          現存しない
   ○關野貞

       左記◆     上記
    ○關野貞

  
    ○關野貞

         左記◆    
    ○關野貞

  
    ○關野貞

  
   ○關野貞

         ◆          現存
   ○關野貞
 
         ◆          現存
   ○關野貞

        ◆
    ○關野貞

         ◆         
   ○關野貞

        ◆         
   ○關野貞

         ◆         
   ○關野貞 

                   
   ○關野貞

       ◆
    ○關野貞