關野貞 杭州調査
『関野貞日記』によりますと、昭和5年(1930)5月26日から28日にかけて杭州を調査しています。27日の日記に「六和塔、銭文穆王墓、煙霞洞、石屋洞ヲ見ル」とあります。
關野は、昭和3年に東京帝国大学を退官し、同4年に東方文化学院(東京研究所)の研究員となっています。
杭州調査に関わる原板(ガラス乾板)は工学系研究科建築学専攻に所蔵されています。
しかし、「六和塔、銭文穆王墓、煙霞洞、石屋洞」に関わる原板および焼付け写真は、工学系研究科建築学専攻には所蔵されていないので、上記の調査の原板は、東方文化学院に納入される前に別所におかれたままになった可能性があります。「六和塔、銭文穆王墓、煙霞洞、石屋洞」に関する焼付け写真は、下記において「その他」として示すことにします。
下記に示す工学系研究科建築学専攻所蔵の原板は、上記の調査に先駆けて、工学系研究科建築学専攻に所蔵された(關野貞整理)ものと考えられます。
昭和4年の東方文化学院の写真アルバムに、下記の◆の焼付け写真が整理されています。上記の調査前に工学系研究科建築学専攻にすでに所蔵されていた写真を複製したもののようです。とすると、「六和塔、銭文穆王墓、煙霞洞、石屋洞」の写真は、調査前に得られていたのかもしれません。東方文化学院写真アルバムの整理者は竹島卓一と考えられます。
工学系研究科 東文研 近況
建築学専攻の 焼付け写真
關野貞等整理写真 ◆写真あり
○工学系建築学
専攻乾板あり
人名は整理者
◆ 倒壊の危険。白塔公園閉鎖
○關野貞

○伊東忠太
◆ 上記参照
○關野貞
◆
○關野貞
○關野貞
今の建築と異なる
○關野貞
上記参照
○關野貞
現存しない
○關野貞
今の鐘と異なる
○關野貞
現存しない。
○關野貞

◆ 倒壊再建

○伊東忠太 ○關野貞
◆ 上記参照
○關野貞

伊東忠太
◆
○關野貞

◆ 倒壊 基部のみ残存
○關野貞 伊東忠太
◆ 上記参照
○關野貞
◆ 確認しえず
○關野貞
◆
○關野貞
◆ 建て替えられている
○關野貞
◆ 同上 
○關野貞
建て替えられている
○關野貞
◆ 雷峰塔倒壊
○關野貞
◆ 
○關野貞


○伊東忠太
◆
○關野貞
◆ 現存しない(当時の建物とも)
○關野貞
◆ 上記参照
○關野貞

○伊東忠太
◆
關野貞

伊東忠太
◆ 
關野貞
◆ 上記参照
○關野貞
◆ 
○關野貞
◆ 
○關野貞

○伊東忠太

◆ 
○關野貞 ○伊東忠太

○伊東忠太
◆ 
○關野貞
◆ 
○關野貞
◆ 
○關野貞
◆
○關野貞
◆
○關野貞
◆
○關野貞
◆ 
○關野貞
◆
北洞(龍泓洞)
○關野貞
◆
○關野貞
◆ 
○關野貞

○關野貞 ◆
◆
○關野貞
◆
○關野貞
◆
○關野貞
◆
○關野貞
◆
○關野貞

○伊東忠太

伊東忠太

伊東忠太
牌牓現存せず 建物も異なる
○伊東忠太

石幢のみ現存
○伊東忠太

○伊東忠太

伊東忠太
現在の建物と異なる(廟内の建物はすべて失われたとのこと)
○伊東忠太
確認し得ず
○伊東忠太
確認し得ず
○伊東忠太

○伊東忠太

○伊東忠太
その他