我が国江戸期 『左傳』『史記』の世界



      『史記』ファンなのに、矛盾だらけの年代をお使いのあなた、正しい年代もついでに示されてます(10年このかた、反論大歓迎。ただし材料は全部お使いください。一部の材料だけなら何でも言えます。一部修正なら、それも大歓迎。どこを修正したか教えてください)。
     戦国時代の年代矛盾に注目しているあなた、年代矛盾は膨大です。あなたの英知をお示しになるチャンスです。ここに示した年代では、さぞかしご不満かと思います。不満な年代は使いにくい(使えない?)ものです。整理の好きなあたななら、ぜひこれをたたき台とするなどして、蘊蓄をご披露ください。その蘊蓄の先に展開される春秋時代像や戦国時代像は、不満が前提だけに、私のものと、ずいぶんと異なったものになることでしょう。
      『左伝』の注釈に興味のあるあなた、よく使われている『左氏會箋』には、こんなに江戸時代の注釈が使われてます。のぞいてみてください。江戸時代の漢学者のあまり知られていない側面でしょう。
      『史記』の注釈に興味のあるあなた、『史記會注考證』にも、江戸時代の注釈がたくさん引用されてます。
     江戸時代の学者は藩(という言わば都市国家の末裔)に属して天下(日本)のことを考え、そして『左伝』や『史記』を読みました。町人学者も似たようなものです。日本のわくを越え、中国はおろか世界をも視野に入れるための材料もありましたが、多く提供されていたのは、中国や朝鮮の情報です。中国や朝鮮の理解が不可欠となりましたが、無論のこと中国(清国)や朝鮮李朝のために学問をしたのではありません。朝鮮李朝やベトナム阮朝の学者の場合も、中国史理解とみずからの国家や社会との関わりには、似たような状況があったでしょう、当然のこととして。
     いまのあなたは、『左伝』や『史記』から何を読み取りますか。 





   ここからは、二つの道が用意されています。いずれかをお選びください。

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